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ユダヤ博物館で歴史に触れるinベルリン・ドイツ4日目⑩

ドイツ
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2015年5月17日(日)
ユダヤ博物館を知ったのは、ドイツ旅行を計画して人のブログを読み漁っていた時だった。
ユダヤ博物館に行った人のブログを読んで行ってみたくなったのだ。

動機はこんなのだったが、行ってよかったと思った。
イーストサイドギャラリーから地下鉄に乗ってユダヤ博物館に行った話し。

【5/17に行ったところ】
・戦勝記念塔
・カイザーヴィルヘルム教会
・新博物館
・聖マリア教会、テレビ塔(下から見ただけ)
・イーストサイドギャラリー
ユダヤ博物館←今回のブログはここ


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ベルリン・ユダヤ博物館のこと

ユダヤ博物館について

ウィキペディアより引用

ベルリン・ユダヤ博物館(ドイツ語: Jüdisches Museum Berlin, 英語: Jewish Museum Berlin)は、2001年にドイツの首都ベルリン・フリードリヒスハイン=クロイツベルク区に開館した市立博物館。

1千年紀から今日までのドイツにおけるユダヤ人の歴史や生活の記録を収集・研究・展示している。
引き裂かれたような特徴的な建物の設計者は、ポーランド生まれのユダヤ系アメリカ人建築家ダニエル・リベスキンド。

隣接する旧ベルリン高等裁判所建物(“Kollegienhaus”)も博物館の一部になっている。
プリンストン大学の教授であるマイケル・ブルーメンソールが開館前の1997年12月以来館長を務める。
ブルーメンソールはベルリン生まれでナチス政権を逃れてアメリカに渡り、ジミー・カーター政権でアメリカ合衆国財務長官を務めた人物である。


こちらに営業時間、休館日などが書いてある。
参考ユダヤ博物館のサイト(英語)

ユダヤ博物館の建築について

ウィキペディアより引用

ベルリン・ユダヤ博物館はベルリン中心部のすぐ南、クロイツベルク区にある。
「コレギエンハウス」(Kollegienhaus、旧ベルリン高等裁判所)の隣のかつてベルリンの壁が走っていた場所に建っており、旧東ベルリンと旧西ベルリンにまたがった形になっている。

コレギエンハウスは1735年にプロイセン王国の高等裁判所として建てられ、第二次世界大戦で廃墟となった後再建されてベルリンの歴史を展示するための市立歴史博物館として使用されていた。

歴史博物館は、1995年にベルリン市立博物館財団の成立とともに解散・転出しており、コレギエンハウスはユダヤ博物館が取得してチケット売り場、セキュリティチェック、ロッカー、レストラン、講演室などとして利用している。
博物館は敷地内をジグザグに走るように建っており、チタンと亜鉛の板で覆われている。この建物の平面図は、引き裂かればらばらになったダビデの星を思わせるようになっている。

窓は斜めや縦横に、様々な角度で不規則に、引っ掻き傷のように建物の壁面に刻まれており、外から各階の床なども見ることができる。
出入り口はなく入館者は隣のコレギエンハウスから入って地下のトンネルをくぐらなければならない。

博物館の下に達すると、敷地の地下を端から端まで斜めに貫く「軸」という名の地下通路が交差している分かれ道に出会う。
軸はそれぞれ、ドイツにおけるユダヤ人の生き方を象徴している。

ドイツからの亡命を象徴する「亡命の軸」、ドイツの歴史の中での継続性を象徴する「持続の軸」、さらにこれらを横に貫く「ホロコーストの軸」である。



ユダヤ博物館を上から見たところ。
オレンジの屋根の『コの字型』になっているのが、コレギエンハウス(Kollegienhaus)
オレンジの屋根の建物の横のジグザグになっている建物に展示物が納められている。


ベルリン・ユダヤ博物館の場所

私はイーストサイドギャラリーを見た後、『Warschauer Straße駅』から地下鉄に乗ってユダヤ博物館に行った。
降りた駅は、Hallesches Tor駅(地下鉄U1,U3,U6号線)



地図をご覧いただきたい。
地下鉄『Hallesches Tor駅』→ユダヤ博物館は、割と近い。



ちなみに、私の泊まったホテルの最寄り駅の『Kochstraße駅(地下鉄U6)』からも近かった。


ベルリン・ユダヤ博物館到着

Hallesches Tor駅から歩いてユダヤ博物館に行った。



16:50頃、ユダヤ博物館に着いた。
この建物がコレギエンハウス(Kollegienhaus)で、かつての高等裁判所。
ここがユダヤ博物館の入口となっている。



ユダヤ博物館はドイツ語で、『Jüdisches Museum Berlin』



ユダヤ博物館の入口。



17:00頃、ユダヤ博物館に入った。
ユダヤ博物館のチケットがこれ。
ベルリンウェルカムカードを見せて、6€になった(2015年当時)
確か20時くらいまでやってたので、この時間でも余裕で見ることが出来る。



荷物を預け、引き換えのタグをもらった。



セキュリティーチェックを受け、いざユダヤ博物館の中へ。
ホロコーストで犠牲になった方々の写真、遺留品等が展示してある。


ユダヤ博物館の展示物その①


イスラエルの彫刻家のインスタレーションは必見

『記憶のヴォイド』と言われる場所ある。
イスラエルの彫刻家メナシェ・カディシュマンによるインスタレーションだ。
コンクリート打ちっ放しで、天井も高く作られている。
床には顔の形をした金属板が一面に敷き詰められている。


ヴォイドについて

ウィペディアより引用

博物館の建物の真中には、何もない空虚な空間である「ヴォイド」がいくつも貫通している。
これらはホロコーストによりできた空白を記憶するための空間で立ち入ることはできない。

地下から三階までの20メートルの天井高の「記憶のヴォイド」は立ち入り可能で観客は必ずこれを横切ることになる。
ここにはイスラエルの彫刻家メナシェ・カディシュマンのインスタレーション、『Shalechet (Fallen leaves)』がある。

これは10,000枚の丸い鉄板が床一面に敷き詰められたもので、厚さ3センチほどの鉄板には目・鼻・口に見えるような穴が開いている。
これらの穴は非常に粗く開けられたもので、一枚として同じ形のものはない。

これら人間の顔のような鉄板を踏まずにここを通ることはできず、踏むたびに大きな音がヴォイド内に響き渡る。


記憶のヴォイドの写真がこちら。
敷き詰められた顔の金属板の上を歩くと、なんとも言えない甲高い金属音が鳴り響く。
踏みつけた顔が『痛い』と、悲鳴をあげている音にも聞こえてしまい、顔の金属板を踏むのをためらってしまう。



上を見上げると三角形の天井があった。
一筋の希望の光のようにも見えた。


ユダヤ博物館の展示物その②

上に続く長い階段がある。



展示物の数々がこちら。



こんな部屋もあった。
あなたの願いをお書きください
各国の言葉で、『あなたの願いをお書きください』と書いてある。



皆が願いを書いて木に結んでいた。



こんなメッセージボードもあった。
WHAT WAS THE MOVING?
WHAT WAS THE FUN?
WHAT WAS LACKING?

付箋にメッセージが書かれて貼られていた。



展示物の続き。



出口の表示が、床にドイツ語と英語で書かれている。
Ausgang(ドイツ語)
Exit(英語)



ユダヤ博物館を出た。
Hallesches Tor駅(地下鉄U1,U3,U6号線)へ歩いて行った。

道路にあった注意書きの看板。
ドイツ語はさっぱりダメだが、なんとなく意味は分かる。



道路標識。
可愛いと思って撮った。
女の子は髪を結んでるよー((*´∀`*))
道路標識でさえも私にとっては一つの楽しみなのだ(笑)


この後は地下鉄に乗って晩御飯を食べに行きます。
そしてスーパーで夜食を買ってホテルに帰りますよ!

Date:2015年5月17日(日)
〜2015年ドイツ旅・つづく〜

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